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人生朝露

人生朝露

「元気」の由来と日本書紀。

今日はまず
『淮南子』。
『淮南子(えなんじ)』から。前漢の武帝のころ、劉安によって編纂された紀元前2世紀ぐらいの書物です。

『天墜未形、馮馮翼翼、洞洞濁濁、故曰太昭。道始生虚廓、虚廓生宇宙、宇宙生氣。氣有涯垠、清陽者薄靡而為天、重濁者凝滯而為地。清妙之合專易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定。天地之襲精為陰陽、陰陽之專精為四時、四時之散精為萬物。積陽之熱氣生火、火氣之精者為日。積陰之寒氣為水、水氣之精者為月。日月之淫為精者為星辰、天受日月星辰、地受水潦塵埃。』(『淮南子』 巻三 天文訓)
→天地が未だ形とならない時、なにものかが、馮馮翼翼、洞洞濁濁として漂っていた。これを太始と名づけよう。太始は虚の空間を生じ、そこから宇宙が生まれ、宇宙が気を生ぜしめた。いつからか気は清陽なものと、重濁のものとのに分かたれていき、清陽の気は天となって薄く広がり、重濁の気は地へと固まっていった。清陽の気は形を変えながらまとまりやすく、重濁は容易には固まり難い。故に、先に天が形成され、後に地が定まった。天地の襲精は陰陽となり、陰陽のはたらきが互いに作用しだすと四季になり、四季のはたらきが万物を生み出した。積陽の気の熱が火を生じ、火気の精が太陽を生み出した。積陰の寒気は水を生じ、水気の精が月を生み出した。月日のはたらきからあふれ出た精が星々となった。かくて天は日月星辰を、地は水と塵埃を受け持つこととなった。

これと、巻二の俶真訓の「天地未剖,陰陽未判,四時未分,萬物未生」などを組み合わせてできたのが、

『日本書紀』。
日本書紀の冒頭、『古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鶏子 溟滓而含牙. 及其清陽者薄靡而爲天 重濁者淹滯而爲地. 精妙之合搏易 重濁之凝場難 故天先成而地後定』であるわけです。

ほぼ、そのまま使われています(もうちょっとアレンジしてくれていた方がよかったと思います)面白いことに、ネタ元の『淮南子』には、天地が形作られる前の、「宇宙」と「気」との関係が記されています。(ちなみに、「八紘一宇」の「八紘」も『淮南子』からのものです。あと、三本足のカラスも出てきます。)

参照:中国哲学書電子化計画 『淮南子』天文訓
http://ctext.org/huainanzi/tian-wen-xun/zh

天地開闢をイメージし易いのは、

参照:Monkey Magic
http://www.youtube.com/watch?v=K2huJqFsFDE
これですね。

"In the world before Monkey Primal chaos reigned,
Heaven sought order, but the Phoenix can fly only when its feathers are grown.
The four worlds formed again and yet again,
As endless aeons wheeled and passed.
Time and the pure essences of Heaven,
The moistures of the Earth,
And the powers of the Sun and the Moon
All worked upon a certain rock - old as Creation,
And it became magically fertile.
That first egg was named Thought,
Tathagata Buddha, the Father Buddha, Said
'With our thoughts we make the world'
Elemental forces caused the egg to hatch,
from it then came a Stone Monkey.
The nature of Monkey was irrepressable!"

・・・実は、日本のオリジナル「西遊記」より、イギリス版の方が、道教的な世界観を上手く表現しています。途中から仏教が入りますが、最初は道教における「世界の始まり」です。

で、12世紀に、これと同様の内容が『太平御覧』という書物に出てくるそうなんですが、『淮南子』の文章とちょっと違うんです。「道始生虚廓、虚廓生宇宙、宇宙生氣」が「道始生虚廓、虚廓生宇宙、宇宙生元氣」となっているんです。元々は、『漢書』の律暦志に「対極中央元気、故為黄鐘」とあるのが最初と言われているんですけど、こちらの方がしっくりくるので、私は道教由来説を取りたいんです。

鳥山明のメッセージ。
「元気」の由来を、です。

参照:届け! みんなの元気玉~悟空とアラレの応援メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=9_tpHFTrxWY

「減氣・験氣・元氣」小考
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN00090146/kokubungakukou_159_13.pdf

「げんき」というのは、日本では「減気」という表現だったんですが、現在の「元気」という言葉とほぼ同じ意味に感じるのは、貝原益軒先生の『養生訓』からです。

Zhuangzi
『人の元気は、もと是天地の万物を生ずる気なり。是人身の根本なり。人、此気にあらざれば生ぜず。生じて後は、飲食、衣服、居処の外物の助によりて、元気養はれて命をたもつ。飲食、衣服、居処の類も、亦、天地の生ずる所なり。生るるも養はるるも、皆天地父母の恩なり。外物を用て、元気の養とする所の飲食などを、かろく用ひて過さざれば、生付たる内の元気を養ひて、いのちながくして天年をたもつ。もし外物の養をおもくし過せば、内の元気、もし外の養にまけて病となる。病おもくして元気つくれば死す。たとへば草木に水と肥との養を過せば、かじけて枯るるがごとし。故に人ただ心の内の楽を求めて、飲食などの外の養をかろくすべし。外の養おもければ、内の元気損ず。』(『養生訓』 貝原益軒著)

参照:荘子の養生と鬱。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5030

益軒先生の場合は、道教の知識を前提に「元気」とおっしゃっています。天地父母から与えられた元気を守り、養う。これが養生。基本的には「足るを知れ」ってことです。

界王様いわく、元気玉とは。
道教における「元気」というのは、宇宙の始まりを生み出したものであり、宇宙そのものを生成するものであります。一面においては「エネルギー」なわけです。「かめはめ波」ってのは、人間の内的エネルギーを放射するもので、「元気玉」ってのは、外的エネルギーを集めてぶつけるものでしょ?

長岡半太郎。
長岡半太郎さんが、『荘子』の中から「エネルギーの概念」を見出したのは、この「気」なんですよ。

参照:当ブログ 長岡半太郎と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5007

『スターウォーズ』のマスター・ヨーダのいう「フォース」の方がより近いです。
Yoda。
Yoda:"For my ally is the Force. And a powerful ally it is. Life creates it, makes it grow. The force surrounds us and binds us. Luminous beings are we not this crude matter. You must feel the Force around you. Here, between you, me, the tree, the rock...everywhere! Even between the land and the ship."
(ワシにはフォースがついておる。頼もしい味方じゃ。生命がそれを創り出し、育てる。そのエナジーが我々を包み込み、同時に繋いでくれておる。我々は偉大な存在・・・こんな粗末なもの(肉体)などではないぞ。自分を包んでいるフォースを感じるのじゃ。ここにも・・お主とワシの間にも・・木々にも・・あの岩にも・・あらゆる場所にじゃ!そう、そしてこの大地と戦闘機の間にもな。)

参照:ヨーダ(Yoda)と荘子(Zhuangzi)。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5026

Yoda Wisdom
http://www.youtube.com/watch?v=PcjnbIF1yAA

Zhuangzi
蛇謂風曰「予動吾脊脅而行、則有似也。今子蓬蓬然起於北海、蓬蓬然入於南海、而似無有、何也?」風曰「然。予蓬蓬然起於北海而入於南海也、然而指我則勝我、我亦勝我。雖然、夫折大木、蜚大屋者、唯我能也、故以衆小不勝為大勝也。為大勝者、唯聖人能之。』 (『荘子』秋水第十七)
→(今度は)ヘビが風に「私は背骨を使って、歩くのだけど、風さんは北から南へとひゅうひゅう動いているのに、形すら見えないのはどうしてなんだ?」風が応えて「たしかに、私はひゅうひゅうと動くことができる。でも、人が指を立てていると、それを折ることも難しいし、人の足が踏みつけようとすることを阻むこともできない。そんな私でも、大木を倒したり、大きな屋根を吹き飛ばしたりすることができる。人の指のような小さなものに勝つことも出来ない私が、大木を倒すことも出来る。こういう働きを利用して勝つことができるのは、人間だと聖人と呼ばれる人だけだな。」

荘子の寓話に登場する、この風のセリフには「気」は出ませんが、「目に見えないもの」としてのエネルギーの観念が明白あります。『荘子』を読むときに、大事なところです。

Evolution。
ま、我々は21世紀になっても風のはたらきをどうたらこうたら考えなきゃならんわけで、紀元前から進化なんかしてないですな。外物に囚われてばかり。

・・・外なる宇宙のエネルギーの始まりは難しくても、内なる宇宙のエネルギーの始まりはなんとなくわかるものです。毎日どこかでバカみたいに泣きながら、命が生まれているわけで。我々、みんなそうですよ。泣かないほうが不自然です。

老子。
「含徳之厚。比於赤子。 蜂蛇不螫。猛獣不據。攫鳥不搏。骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而全作。精之至也。 終日號而不嗄。和之至也。」(『老子』第五十六章)
→徳の備わった様子は、まさに赤子に例えられるだろう。赤ん坊ににはハチやマムシは襲ってこない。猛獣も襲っては来ない。骨は柔らかく、筋肉も弱いのに指を差し出せば、しっかりと握り返してくる。雄と雌の関係も知らないのに、しっかりとチ○チ○は勃つ。一日中泣き叫んでも声が枯れないのは、気のバランスが最高の状態にあるからである。

指をさし出したらしっかりと握り返す。理屈抜きに、あれは元気です。

今日はこの辺で。


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